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「日露戦争」がぐっと身近に

唐突なんですが、先のお彼岸で田舎のお墓参りをしたときのこと。
いつも行ってるお墓で、他に地元のお墓も10ほどあったと思いますが、ホントに、数分しかお墓参りっていうのはしないもので、同時に他の家のお墓参りとは遭遇しないものでした。

それがこの前、真どなりのお墓の親族のみなさんと遭遇しました。お彼岸といえ、みんな黒い服を着てたのでただお彼岸で来ただけではないのかもしれません。
それでそれだけの人数なので、2,3人のこちらはちょっとスペースを空けることになりました。しかし、そこはやっぱりこれだけ田舎の小規模の墓地の中で、お互い知り合いだったりするもの。父方のお墓なんですが、改めて聞いたら父はここにあるお墓のほとんどの家のことは知ってるということ。その真どなりさんは、昔父の実家が火事で焼けてしまったときに泊めてもらったとか、大変お世話になった家の人だったそうです。そのうちの同年代の子(といっても立派な大人ですが)と、ぜんぜん変わってないな~という挨拶をしたり、久々に会ったようで、当時を懐かしんでました。

そんな中、そのお隣さんのうちの1人、80歳ぐらいから90歳くらいの人でしょうか。白髪の、でも物ははきはきおっしゃる男性がいました。(だから余計に年齢不明)
父は、昔この辺のここに住んでて…と伝えると、男性は(私にとっての)祖父の名前を口にしました。あの人の息子かあ!って。似てる似てると。あとは、おっきくなったな~みたいな。(笑)

するとふいに、ある人の名前を出しました。
聞き覚えがあります。それは、毎回墓参りに来るたびに何気なく目にしてた「ご先祖様一覧」に彫られてる人の名前でした。「○之介」ってかんじの名前。いっつも、名前からしていつの時代の人だろうな~どんな人だったんだろうな~と考えてました。
その人の名前が、まさにその人を知ってる人の口から出てきたのです。「○之介」さん(老人は「○ちゃん」と呼んでたが)は日露戦争に行ってた模様。帰ってきて、写真を皆で撮ったんだが、もう不要だと思って燃やしてしまったか、どっかに行ってしまったとのことでした。

…写真って。むしろ見つからなくてよかったなみたいな。
もう過去への幻想みたいな気持ちがうすれてしまいそうです。怖いという気持ちもあります。自分のひいおじいさんを実際に写真って形で目の前に再現してしまうと、どんなことが起こるんだろうという気がします。
実際「ひいおじいさん」といっても、ひいおじいさんが自分が生きてる間にいた人も多いでしょうが、自分の場合そんな皆若いときに皆子供生んだわけじゃなかったので、「祖母」の時点ですでにかなり歳が開いてました。その上がありようがないってかんじ。

だから、そんな見る機会のなかったひいおじいさんを(しかも日露戦争帰りの)見たとしたら、「○之介」という名前を見てほのぼの想像してた自分がなんか否定される気がしました。現実って、そんな「昔ほど良い」って言うようなもんじゃないんだぞってかんじで。
(でも、いつか、1回そのお墓に入ってる人の一覧を見て、あまりの壮大さに人知れず泣いたことがあります。なんというか、自分の人生に行き詰まりを感じてたときだったのかなと)

でも、怖い怖いといいながら、正~直見たかったなとも思います。
誰の顔と似てるのか?とか、歴史上のこととしてしか知らないことが実際はどんなもんだったのかとか、なんか、おじいちゃん産んでくれてありがとう(笑)とか色んなことを考えると思います。


実際今の地元でも、小さい神社の入り口に大きな石が置いてあって、「日露戦争...云々」と彫ってあります。それぐらいでした普段と日露戦争とのつながりは。でも、たった、自分より3代上の人がそれに行ってたとなると、そもそも歴史ってものに対する考え方を改めなきゃいけないって観念が自分の目前にホントに大きな石のような形で迫ってきた気がします。「歴史」って、ここに住んでるものとして学ばなきゃいけないことだけど、実際自分と関係あるかっていったらないような気がしましたから。
それが今回みたいにある程度血のつながりで再認識できるものもあるかもしれないけど、それ以前となったらそうではないだろうから、そもそも(って連呼しすぎ)歴史の教え方っていうのを変えてほしいかんじもします。なんで他人事としか思えないんでしょうね。

by chemicalbird | 2006-10-27 06:44  

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